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トモキチ(中山 知二)の履歴書 (みたいな自分史) |
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1955年 昭和30年 子どもに 良き環境 トトロに会 えた時代 |
東京葛飾区、古き良き東京下町 「3丁目の夕日」の時代だ~! さだまさしに「木根川橋から~ 水道道抜けた~!」と歌われた 木根川町(現葛飾区東四つ木町) に生まれる。 「アセチレン焚いて~あんず飴 売ってますか~?」 カルメ焼きが大好きだった! |
6歳の頃 | 寅さんの「男はつらいよ!」で 有名な柴又の隣町、高砂に転居。 空き地がたくさんあった。団地が でき、スーパーマーケットも出来始めた頃 |
小学校 時代 '62~'68年 |
高砂小学校時代は、病弱で ひ弱な少年時代を過ごす。 東京オリンピックで盛り上 がっていた頃! 紙芝居の おじさんが来ていた。 「黄金バット」などよく見た。 駄菓子とコロッケで育つ。 5円のげそフライをよく食べた 粘土で作るカタ(彩色もする) で遊んだ。暗くなるまで缶けり 草野球を!コッペパンが10円 ジャムをつけて15円だった。 夏にはセミ採り、玉虫もとれた めだかにタナゴ・ザリガニ取り も、するめイカでよくとれた。 『ひょっこりひょうたん島』・ 鉄腕アトムなどを観て育つ。 |
中学校 時代 '68~'71年 |
高砂中学バスケット部で鍛えら れる。おかげで身体も丈夫に なり、運動神経抜群に急成長! 「男はつらいよ」(寅さん)の 撮影を見に、よく帝釈天や 江戸川の土手に行く。後の 人生に多分に寅さんの影響 をうける。 |
高校 時代 '71~'74年 |
都立航空高専に入学。 機会工学を学ぶ。体操部入部。 激しい運動に夢中になる。 ブルース・リー、ジャッキー・ チェンに憧れアクション ごっこをよくやってた。 危ないことを盛んにやっていた やがて人生に悩み高専を 中退してしまい、その後、 劇団のオーデションを受ける |
JAC 時代 |
俳優の故藤木悠氏(キー ハンターの刑事役)の誘いで 通称JAC(ジャパン・アク ションクラブ)に入る。スタント マンの道を目指し、千葉真一 先生に特訓を受ける。 志穂美悦子(現・長渕夫人) と同期で共に厳しい レッスンを受ける。 ある時稽古中高所から落ち 大怪我。全治7ヶ月、4ヶ月間 首から腹までギプス生活! あー!情けない! 結局、JACを辞めることに! |
居候時代 & 蛍雪時代 |
怪我のため仕事もできず、 居候先を転々とわたり 惨めな人生を経験。 JACをやめ、大学進学を志す! バイトと受験勉強に精を出す。 お金もないので、予備校にも 通えず、ラジオ講座で勉強! |
学生時代 '77~'80年 |
他人より3年遅れて大学へ。 晴れて創価大学へ入学、 八王子の住人となる。児童教育 (小学校教諭)を目指すが、 そこで出会ったのが運命の 人形劇。サークルで活動開始。 この頃、チャップリンの映画を よく観る。なかでも『街の灯』 には涙した。以来チャップリン が憧れ(理想)となる |
サークル 時代 |
児童文化研究部(通称ジャリ研) で人形劇を始める。いきなり フジTV「3時のあなた」に出演 することに。アマチュア人形劇 フェスティバル(新宿・プーク 人形劇場)出演をきっかけに 様々な人形劇人に出会う。 渋谷の小さな人形劇場 「プルチネラ」で観た 『美女と野獣』に衝撃。 以後ひとみ座の芝居に夢中に なる。この頃東宝ミュージカル 『ラ・マンチャの男』を観た のが人生の転機に! |
ひとみ座時代 '80~'88年 |
大学在学中に、ひとみ座の一員 となり、その後8年ほど修行。 『ビッケとバイキングたち!』 で始めてプロの舞台に。 その後は『オズの魔法使い』 『かちかち山』に出演 。『お馬 に化けたきつねどん』で全国 行脚。NHK教育TVのテレビ 人形劇にも出演。 忙しい日々を過ごす。NHK教育 TVでは『びんぼう神と福の神』 『浦島太郎』・『鶴の恩返し』 『蜘蛛の糸』などに出演。 |
そらいろ座時代 '80~'85年 |
学生時代の仲間数名と人形 劇団「そらいろ座」を旗揚げ! 『そらおくんのお絵かき帳』 『大きい?小さい?』等の作品 で多摩地区を中心に活動を始 める。飯田人形劇カーニバル に参加、ここで香川の西畑 人形芝居の池原氏や その他様々な人形劇人 との運命的な出会いが。 その後の人形劇人生に多大な 影響を受ける。この頃 「ひとみ座」でも活動し、 二束のわらじを履くが、 忙しくなり、「そらいろ座」は やがて解散となる。 |
からくり 人形 '80~ 現在 |
「現代人形劇センター」の一員 として、松屋などのデパート での「からくり人形展」に携わる。 愛知デザイン博覧会では名古屋 城会場でからくり人形の解説・ 実演を担当。八尾の西武 デパートでも開催。 その後、栃木子ども科学館・ 板橋区立科学館・上野国立 科学博物館などの科学館での からくり展や、台湾国立歴史 博物館での『機会人形展』 にも(海外でのからくり展)。 今でも時折『からくり展』 をお手伝いさせていただく。 なかでも、川口市立科学館 での『からくり人形特別展』や 沖縄での『ロボ・とも展』は とっても楽しい展示会でした! |
げきだんはてな '89~'97年 |
うそまこと氏・わけみずえ氏 とともに「げきだんはてな」を 旗揚げ。 その後7年ほど多忙な日々を。 『失われたソラ』・『魔女っ子 チーちゃんこんにちは!』 『ギンギラじいさん街をゆく』 『つるさんかめさんのスペース 旅リンス』などで全国へ。 『ユメミ・ステーション』で エツコ・ワールドと関わる。 全国の子ども劇場・おやこ 劇場にも大変お世話になり いろんなところに行かせて いただきました。 |
エツコ・ワールド '97~2007年 |
丹下進演出作品『いやいやだ のきかんぼヒヨコ』&『ころ ころ』などで全国行脚。 この頃プラス・ワン劇場で、 マジシャン&パントマイマーや クラウンの皆さんとの ジョイントで公演にまわる! 腹話術の一石堂とこの頃一緒 に旅公演に!エツコ・ワールド にすっかり甘えて過ごす。 しかしその後エツコ・ワールド ゙が長浜へ移転、 東京事務所 閉鎖。一人ぼっちになり急に 暇になる。 エツコ・ワールドのおかげで 仕事にありついていたかを 思い知る。 |
八王子車人形 '98~現在 |
はじめはお手伝い・勉強の つもりが、だんだん伝統人形 芝居の世界にはまり込む。 人形を使う機会が増え、やがて 二代目「西川 柳栄」を襲名。 『三番叟』をはじめとして 『東海道中膝栗毛』『日高川 入相花王』『芝浜』『葛の葉』 『松山鏡』『紺屋高尾』『小栗 判官』『照手姫』『釣り女』 などに出演するようになり 邦楽の世界・義太夫や新内 などの未体験ゾーンに惹かれ 自分の狭い世界が開かれて いく。『東海道中』の弥次 さん・喜多さんの話では、 新内(しんない)の人間 国宝「鶴賀若狭掾」師匠と 海外公演に参加させていた だき、そのすばらしき芸は もとより豊かな人間性に 魅了され、三味線音楽 (邦楽)の魅力に圧倒される。 さらに『死神』『野ざらし』 などの作品では、入船亭扇治 師匠などの、落語での 芝居におおいに刺激を受け、 今更ながら日本文化の 豊かさ・すばらしさを再認識 をする。 アメリカ・ヨーロッパ・韓国・ 南米など数ヶ国への旅へ。 楽しい経験と勉強をさせて いただいている。2009年は 11月~12月に東欧5カ国へ。 2010年は1か月間の全米 ツアー。2011年はバルト3国 (エストニア・ラトビア・リト アニア)で海外公演で 23か国になりました! |
トモキチ笑劇場 (数年前~現在) |
エツコ・ワールド以降、一人で 『トモキチ笑劇場』として活動 を始めることに!それまでに お世話になったところや、 近隣の保育園・幼稚園・ 児童館などでの上演活動を 細々と再開する。 その傍ら団地の自治会長を かれこれ20年も続けたり、 中学校のPTA副会長も 経験させていただいたり、 また、母の介護(世話)に 手がかかったりで、いろいろ なことに手を出しすぎて本来 の目的を見失いそうになる。 5年前、(2017年1月)に 引越しをし、今は緑に囲まれた 静かな住宅街の中でのんびり 細々と活動している状況です。 ここで心機一転、子どもの ための楽しい人形劇を 目指し(活動の中心に) 再出発しました。 子どもたちの素敵な笑顔と 出会えるように! どうぞよろしく! |
※ ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます! 感謝♡ お疲れ様です! |
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